公衆衛生医師(保健所等医師)のインタビュー05

医療現場と本音で
話のできる医師を
行政に増やしたい

北海道保健福祉部感染症対策局感染症対策課医療参事
道立病院局病院経営課人材確保対策室室長兼医療参事

石井安彦さん 2023/02/01 UP!

臨床現場で感じた疑問が医療制度への関心につながり、公衆衛生医師に転身するきっかけになったという石井安彦さん。厚生労働省で、医系技官として診療報酬改定や医師・医療専門職の資格法などを担当した後、「現場に直接関わる仕事がしたい」と、北海道に入職しました。 厚労省時代から変わらず、「現場に行き自分の目で見ること」「現場と本音で話ができること」にこだわり、現場との橋渡し役を目指しています。

臨床現場で抱いた疑問から厚労省へ

何をきっかけに、公衆衛生分野や行政での仕事に興味を持ったのですか?

急性期病院で泌尿器科医として働くなかで、病状が落ち着いて慢性期病院に転院した患者さんが、1カ月程度で状態の悪化により再入院し、転院と再入院を繰り返すうちにどんどん悪くなっていくケースをよく目にしました。多くはがんの患者さんでしたが、全身管理に人手をかけられる急性期病院でずっと診ていれば、もっと長く生きられたのではないかと思い、こうした医療の仕組みを誰がどう決めているのだろうと関心を持ったのが医師になって4年目の頃でした。

そんなときに、厚生労働省のホームページを見て、そこで働く医師がいることを初めて知ったのです。1年間考えて厚労省に見学希望のメールを送り、採用担当の方や同じ北海道出身の先生、年の近い先生を紹介してもらい話を伺いました。そして、こうした人たちが働いているのならば、医系技官の仕事も面白そうだと思ったのです。

石井安彦さん 厚生労働省時代

厚生労働省時代:最初に配属されたのは、障害者自立支援法(現・障害者総合支援法)が成立する頃

厚労省ではどのような仕事を担当したのですか?

8年在籍して5つの部局を回りました。最初に配属されたのは障害保健福祉部で精神保健の担当でした。ちょうど障害者自立支援法(現・障害者総合支援法)が成立するタイミングで、法案審議中に国会答弁を徹夜で作る作業にも携わりました。

当初は、障害者の自己負担を導入する法案に反対する人たちが厚労省を取り囲み、連日シュプレヒコールを上げるなかで仕事をしながら、「とんでもないところに来てしまった」と思っていました。私は福祉分野のことを全く知らなかったのですが、そんなときに上司が精神障害者の社会復帰施設やグループホームなどに私を連れて行き現場を見せてくれました。最初の部局でのこの経験が与えたインパクトは大きく、以来、わからないことがあると、チャンスを捉えて「現場を見せてもらえませんか」と言うようになりました。

制度関連では、保険局で診療報酬改定を、医政局では医師法など資格法を担当しました。医政局内では、その頃「地域医療構想」の前段階に当たる議論が行われていて、私も参加したことがあります。

局内の複数の課から医系技官などいわゆる“技術職員”と、キャリアの事務官が一堂に会して意見を出し合ったのですが、まだ具体例もなく議論はなかなか進みませんでした。そこで、私や他の医系技官が自分のいた地域の病院の実例を挙げ、それをもとに皆で議論を重ねていくと次第に枠組みができ上がっていきました。医系技官とキャリア事務官という、背景の違う人材をうまく組み合わせ、チームにして知恵を出し合うことで、質的にも量的にも1人では到底できない素晴らしい仕事ができると学びました。

法律と医療現場の間で判断する難しさ

臨床現場を経験してから厚労省に入って役立ったことはありますか?

現場を知っていることは大きかったですね。入省前に、厚労省にいる大学の先輩から「患者さんが病院に来てから帰るまでのプロセスがどうなっているのかをよく見てごらん」と助言をもらいました。ある程度は知ってはいるつもりでしたが、実際の臨床現場で改めて意識して観察すると、それまで見えていかなかった患者さんや病院運営の目線に気づくことができました。それが厚労省で制度づくりをするときなどに役立ちましたね。

厚労省で印象に残っている仕事はありますか?

厚労省の仕事は、予算を付ける、通知を書くなど事務作業が中心でしたが、医学的な内容を含む通知について判断を求められることもありました。医学や医療現場を知らない事務官だけで判断すると、思わぬ方向に話が進みかねないため、医師としてチームに参加し一緒に考えることも大きな役割でした。

例えば、この医療行為をこの職種がやることは法律上問題がないのか。その判断が難しいのは、厳密に解釈するとクロに限りなく近くても、全てを杓子定規にクロとすると医療現場が回らなくなってしまうことがあるからです。

今にして思うと、あのときよくぞクロと言わなかったと、自分たちを誇らしく思う事例もあります。ごく一部ではありますが、それをきっかけに法律や政省令などが見直され、クロがシロに変わったという経験もしました。国レベルの判断に関わる仕事ができたことは、とても印象に残っています。

国全体のシステムを動かす面白さがある半面、「自分のフィールド」を求めて

厚労省の仕事は充実していたようですが、なぜ北海道に転職したのですか?

様々な理由があるのですが、国の仕事では自分のフィールドを持っている実感がなかったことがまず挙げられます。国全体のシステムを動かす面白さがある半面、「〇〇病院」という個別の対象に関わることはなく、“固有名詞”が出てこない仕事なんです。

さらに、厚労省では様々な部局を回りますが、人事の原則として、一度経験した部局には同じ役職のままでは行けず、厚生分野以外の部局への異動も予想されました。それならば、自分のやりたい厚生分野で固有名詞の出てくる仕事をしたいと、30歳代半ばには、40歳になるまでに地方自治体に行くことを決めていました。

臨床に戻ることは考えませんでしたか。

臨床が好きだったので、現場に戻ることも考えなくはありませんでしたが、臨床医の私の代わりはいくらでもいると思ったのです。一方、行政には建前ではなく、本音で現場と話のできる医師がもっと必要だと常々考えていました。本音で話せるというのは、「病院はこういう仕組みだからこうなりますよね」という、現場では当たり前の会話を当たり前にできる、ということです。

例えば、コロナで看護師5人が休むという話を聞いても、病院の仕組みを理解していなければ、それがどう現場に影響するのかがわかりません。それでは病院からは相手にされません。また、多職種からなる院内の人間関係を感じ取りフォローする力も、現場とうまくコミュニケーションを図るためには必要です。

行政にはそうした人材がまだ足りていないと感じていました。それならば、行政に入職したほうが、自分のやりたいことができるのではないか、と考えたのです。

“固有名詞”のある仕事の面白さ

北海道ではどのような仕事を担当していますか?

本庁の保健福祉部や救急災害医療や医師確保を担当し、保健所長も務めました。苫小牧保健所長を務めていた2018年に胆振(いぶり)東部地震が発生し、先頭に立って災害に対応する経験もしました。当時の職員から、「あの時は本当に頼りになった」と言われると、自分なりに頑張って良かったと思います。

2018年には最大震度7の胆振東部地震が発生

2018年には最大震度7の胆振(いぶり)東部地震が発生。土砂崩れが多く起きた

苫小牧保健所管内地図

苫小牧保健所管内地図。管内の支所や庁舎までの距離が掲載されている

国の支援の及びにくい地域のインフラ整備

胆振東部地震では救急災害医療に先頭に立って対応した

現在は道立病院局での人材確保や医療安全・感染対策を担当しながら、ここ2年半は本庁保健福祉部でCOVID-19対策に追われています。各方面への情報発信や、各保健所への支援と研修会の開催、病院・介護福祉施設のクラスター発生時の対策が主な業務です。現場に入ることも多く、この2年半で道内に30カ所ある保健所のうち26カ所に、病院・施設は120カ所ほど行きました。

クラスター対策は、ゾーニングなどをサポートした初期の頃とはだいぶ変わってきています。ある病院長が、クラスター発生時には「平時からの弱い部分が出る」と話していましたが、特に大きな病院では組織をまとめることが難しく、各部署の調整の中心になる人がいない、対策会議を開いても必要な部署が集まらず末端まで情報が周知されないといったマネジメント上の問題が起こりやすい。そうした院内のマネジメント体制をつくる手伝いをすることが最近は増えています。

ここ2年半は本庁保健福祉部でCOVID-19対策に追われている

ここ2年半は本庁保健福祉部でCOVID-19対策に追われている

院内のマネジメント体制をつくる手伝いをすることも増えている

院内のマネジメント体制をつくる手伝いをすることも増えてきた

厚労省時代とは違った、自治体の仕事ならではのやりがいはありますか?

北海道では医師確保対策を6年担当しましたが、実は厚労省でも医学部地域枠の制度づくりに関っていました。私が道に入ったのは地域枠の一期生が6年生になった年で、卒業後のキャリアや働き方について具体的なルールづくりが求められていました。

学生は専門的な知識・技術を勉強できる医療機関に行くことを希望しますが、医師不足の市町村長にとっては自分たちの地域の医師を確保することが何より重要です。地域枠の学生と面談すると、彼らは当初自分のキャリアについて悲観的な見方をしていました。そこで、市町村側と折り合いの付くところを探り、地域枠の学生も医師として“普通”のキャリアを経験できるようにルールを弾力化したのです。

さらに、地域枠出身の医師には年1回は面談を実施し、その際に担当者が勤務地に訪問することをルール化しました。彼らの生活・職場環境を実際に見て理解することが、話を聞くうえで大切だと考えたからです。当時、私が設けたこれらのルールは、今の担当にも引き継がれています。

過去の仕事の成果を長期的に見ることができるのは、地方自治体の仕事の魅力です。医師確保の仕事を続けている間に、学生が医師として立派に成長していく姿を目の当たりにしました。COVID-19対策で訪問した病院で偶然に再会し、活躍ぶりを見たときは感慨もひとしおでした。厚労省では、「この県の地域枠の定員は5名」といった数字や要件しか見ていませんでしたが、「〇さん」という“固有名詞”のある仕事だからこそ経験できる醍醐味です。

行政の仕事は“サッカー”

公衆衛生分野や行政で働く医師に必要なことは何でしょうか?

公衆衛生医師として、自分自身の専門性を高めなければいけないのはもちろんですが、行政には、時代や地域情勢など変化することが前提の世の中で、今何が求められているのかを常に考えていくことが必要です。そのために、現場に行って住民や関係者が今何を考えているのかを知ろうとする努力が必要だと思います。

行政、特に厚労省や本庁の仕事は、スポーツに例えると、サッカーに似ているところがあります。待っていれば打順が回ってくる野球とは違い、良い位置にいる人や、周囲から信頼されている人のところにはボールがたくさん回ってきますが、そうでない人にはボールが来ません。特にコロナ禍のような非常時には、自ら現状を把握して必要なことを考える、能動的に業務参加する姿勢が求められる仕事だと感じています。

北海道庁
最後に若い医師や学生に対して、メッセージをお願いします。

私の場合は、20代の最後で厚労省に入りましたが、若いうちに行政でいろいろな経験を積むことができたのは有意義でした。今は行政と臨床を行き来する人も出てきているので、興味があれば、ちょっと覗いてみようという軽い気持ちで行政に一度入職してみるのもよいのではないかと思います。そのまま行政で働き続けても、臨床に戻るのであってもその経験は必ず次に生きるはずです。

石井安彦先生
石井安彦(いしい・やすひこ)さん
北海道保健福祉部感染症対策局感染症対策課医療参事
道立病院局病院経営課人材確保対策室室長兼医療参事

2000年に札幌医科大学を卒業後、大学病院などでの勤務を経て、2005年4月に厚生労働省入省。障害保健福祉部、健康局、労働基準局、保険局、医政局を担当した後、退職。2013年4月に北海道に入職し、保健福祉部、保健所、道立病院局で勤務する。

※2023年1月取材:所属やプロフィールは取材当時のものです。

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臨床から行政医師へ。それぞれの