そのときに考えたのは、自分が診療をするよりも、もともと現地にいる人たちが働きやすいような仕組みを作る公衆衛生活動のほうが、途上国でより多くの人を助けるには効率が良いのではないかということです。診療活動をするには医師免許など制度上の問題もあるうえ、そこにやって来た人しか助けられません。それならば、私は保健や医療の仕組み作りをしたいと思うようになりました。
始めに、公衆衛生という分野に興味を持ったきっかけを教えてください。
私は産業医科大学の12期生で、他大学生に比べると、学生時代から公衆衛生に“洗脳”されていたところはあったように思います(笑)。実際、産業医や公衆衛生の実習は面白く、今も印象に残っているほどです。
産業医大では修学資金返還免除の要件として義務年限があり、産業保健分野で5~7年程度勤務しなければなりません。ただ、今と違って産業医の地位や活動が十分に確立されていなかった当時、周囲の多くが臨床医を志していて、私も公衆衛生や産業保健の道に進もうとまでは思っていませんでした。
公衆衛生活動の原点になったのは、義務年限の対象の仕事に入る前に、ミャンマーで半年間NGO活動に関わったことでした。私は途上国での活動に興味があり、臨床研修を終えたばかりでしたが、「医師が診療するだけで十分助けになる」と言われ、無医村に1人で赴きました。ところが、現地では看護師などが、私にできる範囲の診療や処方はすでに担っていました。