公衆衛生医師(保健所等医師)のインタビュー08

地域や物事をダイナミックに動かす
「仕組み作り」の面白さ

熊本県県北広域本部保健福祉環境部
菊池保健所・菊池福祉事務所 部長・所長

劔陽子さん 2023/02/21 UP!

産業医科大学の出身で、学生時代から公衆衛生や産業保健に面白さを感じていたという劔陽子さん。途上国でのNGO活動を通じて、直接医療を提供するのではなく、保健・医療の仕組みを作ることで現地の人を支援したいと考えたことが公衆衛生医師の原点になりました。熊本県に入職し保健所という現場の第一線で、平時の公衆衛生活動だけでなく、令和2年7月豪雨など非常時においても、地域の様々な資源を巻き込んで体制をつくり様々な課題と向き合っています。

原点は途上国で知った「仕組み作り」の有用性

始めに、公衆衛生という分野に興味を持ったきっかけを教えてください。

私は産業医科大学の12期生で、他大学生に比べると、学生時代から公衆衛生に“洗脳”されていたところはあったように思います(笑)。実際、産業医や公衆衛生の実習は面白く、今も印象に残っているほどです。

産業医大では修学資金返還免除の要件として義務年限があり、産業保健分野で5~7年程度勤務しなければなりません。ただ、今と違って産業医の地位や活動が十分に確立されていなかった当時、周囲の多くが臨床医を志していて、私も公衆衛生や産業保健の道に進もうとまでは思っていませんでした。

公衆衛生活動の原点になったのは、義務年限の対象の仕事に入る前に、ミャンマーで半年間NGO活動に関わったことでした。私は途上国での活動に興味があり、臨床研修を終えたばかりでしたが、「医師が診療するだけで十分助けになる」と言われ、無医村に1人で赴きました。ところが、現地では看護師などが、私にできる範囲の診療や処方はすでに担っていました。

劔陽子 公衆衛生医師

ミャンマーの村での写真。10年以上経って成長した、写真の子どもたちの1人から届いたメールに添えられていたもの

そのときに考えたのは、自分が診療をするよりも、もともと現地にいる人たちが働きやすいような仕組みを作る公衆衛生活動のほうが、途上国でより多くの人を助けるには効率が良いのではないかということです。診療活動をするには医師免許など制度上の問題もあるうえ、そこにやって来た人しか助けられません。それならば、私は保健や医療の仕組み作りをしたいと思うようになりました。

その経験が、現在の仕事にどのようにつながっていったのですか?

途上国での公衆衛生活動の有用性を感じながらも、帰国後はもう少し臨床ができたほうがいいのではと、産婦人科の臨床も1年経験しました。その後は、義務年限の要件を満たすために母校の公衆衛生学教室に入り、自由な気風の教授のもと、国内外で様々な調査研究をしました。

当時は、何よりも途上国での活動に興味があったため、自分で研究費を獲得して途上国に調査に行きました。合間には、国内で思春期保健の研究を手がけ、公衆衛生学の実習を担当したときには、市の保健師と協力して医学生に高校などで性教育をさせたこともあります。国内外で充実した調査研究活動をさせていただきました。

義務年限満了後は、結核予防会国際部に入職してJICA(独立行政法人国際協力機構)のプロジェクトでカンボジアに行き、公衆衛生活動として結核・エイズ対策に携わりました。こうした途上国での活動をもっと続けたかったのですが、家族との生活もあって断念し、臨床医として5年ほど産婦人科病院で勤務しました。

しかし、そのうちに公衆衛生の仕事に戻りたいという思いが強くなり、家族の赴任先で仕事を探し、調査よりも現場での活動のほうが自分には合っていると思い、それならば保健所がいいと熊本県に入職しました。

阿蘇山

菊池保健所から車で1時間ほどのところにある、阿蘇山火口付近。

「もっと面白くしたい」――効果を追求して工夫する仕事の面白さ

県行政での公衆衛生医師の仕事は、入職前のイメージとは違いましたか?

地域の仕組みづくりという点では、カンボジアでも県行政でもさほど変わらないだろうと思っていました。ただ、役所の仕事ということで、毎年やることが決められ、それ以外のことができないのではという心配もありました。

入職後はまず本庁に配属され、健康関連の事業を担当しました。最初のうちは前年度の内容を踏襲していましたが、そのうちに「こうしたらもっと面白くなるのでは」とアイデアが浮かび、思い切って事務方の管理職に「内容を変えてみたい」と相談したのです。すると、「どんどん変えてください」と殊の外あっさりと言われ、驚きました。そこで、疾患関連のイベントの講演内容を患者さんのニーズに合わせて変更したり、より参加者が見込める開催地への見直しを提案したりしました。3カ月という短い期間でしたが、仕事は俄然面白くなりましたね。

保健所長に着任してからも、どうしたらもっと事業の効果が出るのかを考え、やり方を常に工夫する努力は惜しみません。若い職員にも声を掛け、一緒に取り組むこともあります。ですから、平時の保健所の仕事も楽しいですね。

薬物乱用防止の啓蒙イベントの様子

薬物乱用防止キャンペーン活動の時に挨拶する劔さん

保健所での取り組み事例を教えてください。

毎年、管区内の企業に対して、保健所が健康づくりのサポートを行う地域・職域連携事業を実施しています。例年は関係者を集めた会議で、地域の健康課題の共有や取り組みの報告を行うことが多かったのですが、若い職員を巻き込んで「面白いことをやろうよ」と、各企業の健康づくり活動の発表会を企画しました。

その際には、若い職員が説明に赴いて小さな企業も巻き込み、アドバイスや道具が必要ならば保健所がサポートすることを約束しました。発表会で優秀な取り組みを表彰したのですが、地元の新聞社も取材に来て盛り上がりましたね。2年目には、各企業から健康レシピを応募してもらい、保健所の管理栄養士が作った料理を地元の食育関係者に審査してもらうコンテストも行いました。

企業の参加を促す仕掛けをしたわけですね。

糖尿病対策事業では、毎年世界糖尿病デーに合わせて、そのシンボルである「ブルーサークル」を各企業に掲示してもらっていましたが、若い管理栄養士が啓発効果をもっと高めようと工夫をしました。アクリル板のプレートに糖尿病クイズを入れて、シンボルのブルーのライトと一緒に設置してもらったのです。QRコードをスマートフォンで読み取ると、解説が書かれたホームページに誘導される仕組みで、アクセス件数が多い企業を表彰しました。

若い職員を中心に、面白い事業をやれば自分たちも面白くなるからと、こうした企画に積極的に乗ってきてくれる人が多かったですね。

薬物乱用防止の啓蒙イベントの様子

アクリル板のプレートに糖尿病クイズを入れて、シンボルのブルーのライトと一緒に設置

災害時の課題を関係者と振り返り経験を次に生かす

熊本県は、2016年の熊本地震や令和2年7月豪雨など大きな災害にも見舞われましたが、印象に残っている取り組みはありますか。

熊本地震のときではないのですが、その1年後に最も被害の大きかった上益城郡を管轄する御船保健所に赴任し、地域全体の防災体制の構築に注力したときのことは印象に残っています。震災時のコミュニケーションが課題となっていて、それを検証し経験を次に生かすために、管轄する5町の職員や地域医師会、災害拠点病院に当時の状況をヒアリングすることから始めました。そして、保健所職員からも震災時の問題や対策案などを挙げてもらい、それらをまとめて関係者と一緒に防災体制を作り上げていきました。

それをもとに災害訓練も何回か実施しました。ある町で大きな地震が発生したという想定で、管内の5町の職員がその町の職員になりきった対応訓練では、「住民からこうした電話が入った」などと状況を想定したカードを次々と出し、どう対応するのか、どの関係機関に連絡をするのかを考えてもらったり、「避難所にけが人が運ばれてきたが薬がない」という場合に、町の職員はどこに連絡をするのか、医師会はけが人の報告を受けてどのように動くのかなどと、一連の流れを検証するなどしました。

また、熊本地震ではできなかった、関係機関が集まる災害時の模擬会議も行いました。状況のシナリオを作り、私が司会役となって関係者に今の活動内容やできることなどをアドリブで答えていただいたのですが、震災時のことを思い出すのか、半分涙目で支援を求める人もいました。

臨場感溢れる訓練を通じて、発災時の対応の流れやそれぞれの役割をお互いに確認するとともに、地域全体の関係性も良くなり、災害以外のことでも協力体制が整備されました。私の異動が決まったときに、医師会の先生方が「行政と一緒に活動して、楽しいと思えたのは初めてだった」と言ってくださったことは忘れられません。

最も被害の大きかった上益城郡(2016年11月6日の写真)

最も被害の大きかった上益城郡を管轄する御船保健所に、地震1年後に赴任(2016年11月6日の写真)

2016/10/30撮影阿蘇登山道草千里近辺

阿蘇登山道草千里近辺の様子(2016年10月30日の写真)

その経験が、人吉保健所所長として令和2年7月豪雨に対応したときに役立ったそうですね。

御船保健所で、災害時対応のために資材も作成したのですが、なかでも初動時に各課職員が揃っていなくても的確に動けるようにやるべきことをまとめたアクションカードは、令和2年7月豪雨の際に“命綱”になりました。人吉保健所に赴任してから、地域や新型コロナウイルス感染症(COVID-19)対策を踏まえたものにアレンジし、カードを使った訓練も所内で実施していました。

水害の発災は土曜日の早朝で、私も含めて熊本市に帰っていたり、人吉地域に残っていても保健所近くに架かる橋を渡ることができずにいた各課職員が多く、登庁できたのは熊本地震を経験していない若い職員が大半でした。それでも、医療機関の被災状況や上下水道の状況などを職員たちがアクションカードに沿って確認し、部内のLINEグループで経時的に写真を送ってくれたので、私も適切に指示を出すことができました。

令和2年7月豪雨では、米を持ち込んで所長室で炊いて職員にふるまった。

令和2年7月豪雨では、米を持ち込んで所長室で炊いて職員にふるまった。

所長室には寝袋も持ち込まれ、「レストラン所長室」「ホテル所長室」としてフル回転

所長室には寝袋も持ち込まれ、「レストラン所長室」「ホテル所長室」としてフル回転

豪雨の時の対策会議での後ろ姿

豪雨の時の対策会議での後ろ姿(一番左が劔さん)

資源が繋がるとダイナミックに物事が“動く”

公衆衛生医師の仕事に面白さを感じるのは、どのようなときですか?

途上国でも県の保健行政でも同じなのですが、地域の仕組みを作る際、地域の資源をうまく繋ぎ合わせると、物事がバーンと劇的に“動く”のです。これは、患者さんと1対1の診療ではなかなか味わうことができません。動いたときのダイナミックさが、公衆衛生活動の魅力です。

例えば、7月豪雨では、被災翌日に関係機関を集めて会議を開き、「支援者は帰りますから。動くのは私たちです」と、自分たちが主導する形での復興を呼びかけました。

劔陽子 公衆衛生医師

(撮影協力:炭火焙煎珈琲. 凛 本店

1階が浸水した基幹病院も土日で片付けをして月曜から救急を受け入れ、診療所もだいぶ水没しましたが、医師会などが駐車場にテントを立てて必要な診療や処方を行うなど、被災からすぐに地域全体で医療を回せるように取り組めたように思います。

カンボジアでは、エイズと結核の重複感染者が多かったことから、結核クリニックに掛かっている人がHIVの検査が受けられるような仕組みを整備しました。私の前任者が、結核患者にHIV検査を勧められるように、結核担当のヘルスセンターの職員へのエイズのカウンセリングの指導を始めようとしていたのでそれを引き継ぎ、センターでのHIV検査体制や陽性者のHIVクリニックへの紹介システムを作りました。それだけで結核患者でHIV検査を受ける人の割合がぐんと跳ね上がりました。

行政でも、ちょっと後押しさえすれば、もっと物事が動くのにと感じることがたくさんあります。そこに、自分のできることがあるように思います。

若い医師や学生に、公衆衛生にどのように向き合ってほしいか、メッセージをお願いします。

私は、良い臨床医になるためには公衆衛生の視点やセンスが必要だと思っています。なぜなら、患者さんは社会の中で生活しているからです。

特に、地域に根差した病院や診療所の医師は、患者さんが地域に帰ってからのことまで目配りして診療することが求められます。医療の仕組みを知り、患者さんを地域の資源と繋ぐことで、社会でうまく生活できるようにしていくのも、臨床医に必要な公衆衛生のセンスです。

私が以前に勤務していた産婦人科病院の先生は、出産後の診療は、臨床的な意味では1か月健診で十分ですが、育児などでフォローが必要な人に対応できるように、赤ちゃんの体重測定や母乳指導などを理由に来院を勧めるなど、様々な仕組みを設けていました。

自院でできることは限られていますが、公衆衛生の視点を持って他の地域の資源や仕組みと繋がることで、できることは広がります。ですから、より良い臨床医になるためにも公衆衛生学を勉強していただきたいと思います。

熊本県県北広域本部保健福祉環境部 菊池保健所・菊池福祉事務所 部長・所長 劔陽子(つるぎ・ようこ)さん
劔陽子(つるぎ・ようこ)さん
熊本県県北広域本部保健福祉環境部
菊池保健所・菊池福祉事務所部長・所長

1995年、産業医科大学卒業。同大学医学部公衆衛生学教室助手などを経て、結核予防会国際部医員として、JICAのカンボジア国家結核対策プロジェクトに携わる。産婦人科病院での勤務を経て、2015年に熊本県に入職。本庁で3カ月勤務後、水俣保健所、御船保健所、人吉保健所、菊池保健所で所長を務める。医学博士(公衆衛生学)。

※2023年1月取材:所属やプロフィールは取材当時のものです。

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