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公衆衛生医師(保健所等医師)のインタビュー04

一人ひとりを大切にしながら、
全体の利益を判断する

川崎市健康福祉局担当理事
川崎市健康安全研究所所長
岡部 信彦さん

小児科医として「臨床まっしぐら」だった岡部信彦さんがWHO西太平洋事務局で働くことになったのが、40歳を過ぎた頃。その後、また臨床の世界に戻ったものの、国立感染症研究所に移ったことをきっかけに、本格的に公衆衛生の道に進むことになったそうです。ただ、「臨床と遠いことをやっているつもりはない」と、岡部さんは話します。公衆衛生医師とはどういう仕事なのか、ご自身の経験を交えて教えていただきました。

小児科医として20年経験を積んだあとに

岡部先生はもともと小児科医ですよね。留学やWHOでの勤務などを経て、国立感染症研究所感染症情報センターに移られたわけですが、どの段階で公衆衛生に興味をもったのですか?

もともと公衆衛生学は嫌いで、学生時代は国家試験のためしょうがなく勉強していました。とにかく臨床が好きで、臨床をずっと続けていましたが、小児科は、健診や予防接種、母子衛生、子どもの成長の見守りなど、病気だけを診ているわけではありません。保健所に出入りすることもありました。

そしてウイルス学を勉強しにアメリカに留学し、いったん母校の小児科に戻ってから国立小児病院(現在の国立成育医療研究センター)の感染科に医員として7年ほど過ごしていたとき、WHO西太平洋地域事務局(WPRO)で呼吸器疾患に関する短期間のトレーニングをやるということで、インストラクターとして呼ばれたのです。

そのときには臨床医というお立場で呼ばれたのですね。

ふだんの臨床では、患者さんをよく見て検査をして、その結果をもとに治療をしていくわけですが、そういう手段のないようなところでは、たとえば呼吸数や肋間のへこみ具合から重症かどうかを判断して、必要に応じて入院治療ができる医療機関に送ります。そういう方法を医療の行き届かない地域で実践できるようにすることが中心で、日本での医療との違いが強烈に印象に残りました。

それと、私が勤めていた国立小児病院の感染科では、アジアなどからの研修生を受け入れ始めていたんですね。あるとき、フィリピンから来た若い小児科医から「ここには感染症はいない。本当の感染症をみたいならあなたがアジアに来たほうがいい」と言われました。たしかに国立小児病院には、真の感染症が入院してくるようなことはなく、彼らが現場で診ている感染症は教科書でしか知りませんでした。

この2つのことが心に残っていた矢先に、WPROで、予防接種と感染症に精通し、臨床経験も研究経験もある日本人を探しているということで、声をかけてもらったのです。

WPROのあるマニラに行かれたのが何歳のときですか?

40歳を過ぎた頃ですね。71年卒業で90年にWPROに行ったので、20年近く臨床経験を積んでからです。そのままWHOにいようかという気持ちもあったものの、いろいろな事情で4年後に母校に戻り、2年ほど分院で小児科の責任者を務めました。

そして、当時の国立予防衛生研究所が改組して「国立感染症研究所」をつくる際、「感染症情報センター」の立ち上げにあたって、感染症のサーベイランスと病気の説明ができる、感染症のラボ経験のある臨床医がほしいということで誘われました。それが大きな転機でしたね。

データづくりは辞書づくり、何かあったときに見るもの

感染症研究所時代、とくに印象に残っていることはありますか?

おもしろかったのは、感染症のデータを集め、これをまとめたものをみなが使えるようにできたこと。今でこそ、「インフルエンザの現状は」とか「はしかや風疹が何人出た」「出血性大腸菌感染症が広がってきている」などのデータが刻々と出て、それを誰もが見られるようになりましたが、当時は、集めたデータは研究者のものであり、じっくり分析するので公表されるまでには時間がかかりました。

それを、「データはもともと人からもらったもの、出したデータは返してもらいたいし、自分の知りたいデータは他の人も知りたいのだからできるだけ早く還元・提供しよう」 ということを国レベルでできたのがおもしろかったですね。

最初は反対の声もありました。「自分たちがせっかく集めたデータ、分析したデータをなぜ早くやすやすと人が見られるようにしなければいけないのか」「すぐにデータを出せば正確性が失われるのではないか」などと言われましたが、早く知らせることに意味があります。なぜなら、いち早く知らせることで、「インフルエンザの流行に身構えましょう」「はしかや風疹のワクチンをやりましょう」「O157は危ないから気をつけましょう」など、実際の現場に使えるからです。

それを実現できたことと、いまだに新聞や学会などで「国立感染症研究所のデータによると」と枕詞に使ってもらえているのもうれしいですね。

オープンデータの走りですね。

「データづくりは辞書づくりだ」と、よくみんなに言っていました。決して派手ではありませんが、何かあったときに見る基本的なデータをつくるんだ、と。

知らない言葉にであったときに辞書をめくるように、いつもと違うことが起こったときに振り返るデータが必要だったということですね。

それと、国外で新しい病気が起こったときの対応も遅れていました。じつは、私が国立感染症研究所に移ったまさにその日に、マレーシアで手足口病の重症者が多数出たというインターネット記事が飛び込んできました。当初は原因がよくわからず、急きょ現地に行ったのですが、当時はこのようなアウトブレイクに対する調査のノウハウは国内では確立されていませんでした。

そこから、海外で感染症が発生したときに日本はどう対応するのか、その病気が日本に入ってきたらどうするのか、あるいは現地に行く人はどうすべきか――などの危機管理が考えられるようになり、そのうちに鳥インフルエンザや炭疽事件、SARS、エボラが起き、そして2009年に新型インフルエンザのパンデミックが起きた。そのような流れのなかで、「感染症に対する準備が必要だ」という機運が国全体でも世界中でも高まっていったのは、非常に印象深いです。

普段からの情報発信がリスクコミュニケーションだった

国立感染症研究所時代には感染症情報センターのセンター長としてメディア対応も積極的にされていました。

感染症の対策では、一般の人に説明することも非常に重要。なおかつ、「原因不明のなにやら怖いものがワーッとやってきた」というように、過剰な不安を煽らないようにするには、ふだんから正しい情報の発信をしておくことが大切です。

インフルエンザ情報の発信でまず注目されましたが、SARSが起きたときに、分野も様々な多数のメディアからばらばらに説明を求められたので、一斉に集まってもらい、「感染症とは」というところから説明をはじめました。その後、SARSがおさまってからも、メディアの人たちと月に1回勉強会を行ったんですね。そうしたら、ある感染症が発生したときに、肝心な話がスッと伝わった、ということがありました。

一般の人たちにはメディアを通して伝わるので、そのメッセージをコントロールすることも必要でしょうか。

情報のコントロールをするのではなく、情報は提供するものであって、咀嚼できるようにして渡すわけです。メディアコントロールという言葉はありますが、自分でもコントロールされるのは嫌いなほうなので(笑)。

メディアの人には、「よい素材を提供するのは我々だけれど、それを上手に調理するコックさんはメディア。どうやって美味しいものにするかは、あなたたちの役割と腕ですよ」と、よく言っていました。その上で我々は、たとえばインフルエンザでマスクをつけるのはなぜ大切なのか、どのくらいの効果があるのかといった背景的なところ、専門的なところを普段から説明しておくように心がけていました。

そうしたことを重ねるうちに、「あ、これがリスクコミュニケーションなんだ」と思いました。そんな言葉も知らずにやっていましたが、ふだんから感染症やそのリスクについて説明していると、パニックが起きてもその度合いをおさえられるわけです。リスクコミュニケーションというのは、クライシスコミュニケーションだけではなく、ふだんからのコミュニケーションが欠かせないのだと実感しました。

国から地域に移り、見えてきたもの

現在は川崎市健康安全研究所の所長という立場ですが、なぜ、移られたのですか?

国レベルでの仕事はおもしろい一方で、細かいことが見えなくなることもあります。また、大きな組織だから、ほんの少しハンドルを切ったつもりが急カーブを切っちゃうようにグワーッと動いてしまうこともある。自分たちが行ってきた感染症対策が、地域ではどう動いているのかを見たいななどと思い、今の部署に誘っていただいたのを機に移りました。

見えてきたもののなかで、新たな気づきはありましたか?

たとえば、感染症法に規定された感染症の患者さんを診たら、医師は感染症法に基づいて届出を行わなければいけませんが、保健所側は一定の定義に一致しているもののみ受け付けます。その結果が、都道府県や国立感染症研究所、国にいく。でも、実際はグレーゾーンがいっぱいあるわけです。

そこで川崎市では、臨床医と保健所や本庁の感染症担当者と我々で、いわゆるケースカンファレンスをはじめました。そのなかでグレーゾーンも含めて情報共有することで、その感染症(かも知れないものも含め)の経験と知識が広がり、また患者数が増えそうになったときにいち早く対応できるのではないかと考えています。これらの情報は、届け出のための届け、法律に従うための届けではなく、感染症の対策、予防につながるように使われなくてはいけないと思います。

潜在患者さんも含めて把握するということですね。

それから、みんなのアイデアが高まって2014年4月から始めたのが、通常の届け出のほかに市内のすべての医療機関にお願いしてその日に診たインフルエンザの患者さんの数をコンピューター上に入力してもらうという取り組みです。「 KIDSS(Kawasaki city Infectious Disease Surveillance System、川崎市感染症情報発信システム)」という名前で、通常の感染症の発生のまとめはもちろん、インフルエンザについては集計結果が翌日にはグラフや地図上で見られるので、どのくらい増えているのか、どこで多いのかといったことが一目でわかります。

最初は、「毎日入力するなんて無理」とも言われましたが、実際に運用がはじまり、前日のデータがわかるようになると、多くの方々が入力してくれるようになり、データの信頼性も高まってきました。現在では市内の約7割の医療機関が協力してくれています。

目をつぶって判断するのではなく、目をあけながら判断する

健康安全研究所は「試験検査」「調査研究」「研修指導」「情報発信」を四本柱にしています。公衆衛生関係の職員に向けた研修も行っているのですね。

公衆衛生に直接かかわる方々だけではなく、最近では、川崎市立病院にくる研修医は、ここ(川崎市健康安全研究所)に見学に来ることを必修にしてもらいました。研修医は忙しく病棟中を走り回っていて、検査は出せば終わり、それがどこでどのように扱われているかを知らずに、返ってきた返事を見るだけになりがちですよね。どういうプロセスで誰がやっているのか、どのくらい時間がかかるのものなのかなどわからないので、見学してもらうことにしたのです。さらに興味があれば、1カ月ほど、データ分析などを実習してもらっています。最も良かったなと思うのは、検査を出す側が検査を知るだけではなく、検査を受け取る我々の側も、医者がどのような気持ちで検体を出してくるかもわかってきたことです。

見学や実習をした人がたとえ公衆衛生の道に進まなくても、「公衆衛生ってこういうことか」と漠然とでも理解し、公衆衛生的なセンスをもちながら臨床を行うようになれば、地域医療のレベルは上がるはずです。

「公衆衛生的なセンス」とはどういうものでしょうか?

一人ひとりを見ながら全体を見る。そして1つの事柄を見ながら、それに影響を与えるものはどういうことか、常に考えています。ただ、“公衆衛生的”に偏り過ぎると、全体を見ようとするあまり、“一人ひとり”を犠牲にしてしまうときがあるので、そのバランスは非常に難しいですね。

その判断に悩む場面もありますか?

ワクチンはまさにそうですよね。たとえばHPVワクチンは、接種後に体調不良で苦しんでいる人もいますし、その人たちの話も聞きました。でも、多くの人にワクチンによる直接の影響が及ぶのであればそれは大きな問題ですが、真に影響を受けた人はごく少数に留まるのではないかとの調査研究も発表されてきています。そもそも多くの患者さんがいる子宮頸がんという病気をいかに防ぐか、という視点も考えなければいけません。

ただ、全体を見て判断しなければいけないけれども、そのときに、一人ひとりもちゃんと見て、目をつぶって判断するのではなく、目をあけながら判断しなければいけない。だから、グラグラしてはいけないけれど、常にドキドキしながらやっています。

私は、いまでも臨床と遠いことをやっているつもりは実はあまりないんです。一人ひとりを大切にしなければいけないことは変わらず、それが全体の利益につながるようにしなければいけないと思っています。

岡部 信彦(おかべ・のぶひこ)さん
川崎市健康安全研究所 所長
慈恵医大小児科・北里大学感染制御学・横浜市大微生物学客員教授

1971年医学部卒業後、小児科医として臨床経験を積んだのち、78年に米国バンダービルト大学小児科感染症研究室に研究員として留学。帰国後、国立小児病院感染科などを経て、91年にWHO西太平洋地域事務局伝染性疾患予防対策課課長、95年に慈恵医大小児科助教授、そして97年に国立感染症研究所に移り、感染症情報センター室長、センター長を務めた後、2013年より現職。

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