どのような仕事なのか、当時の広島市保健所長に直接話をうかがってみると、社会を動かすシステムやデザインなどへの興味が役に立つと仕事だと言われ、「公衆衛生医師は、市民が健康で幸せに暮らすことができるようにデザインしていく仕事だ」と考えました。さらに、そのときはピンとこなかったのですが、「いろいろな人との繋がりを作るのが好きな人だったら合う」と助言されたのです。
脳神経外科医から公衆衛生医師にキャリアチェンジしたきっかけは何ですか?
子どもの頃から、建築や自然環境、生活環境といった、社会を動かすデザイン(形や仕組み)に興味を持っていたことが原点にあったように思います。大学は、人のために直接役に立てる仕事を、という父の助言もあり医学部に進学し、学生実習をきっかけに脳神経外科を選びました。手の麻痺があった脳腫瘍の患者さんが、手術室に入って腫瘍を切除した直後から、手が動くようになったのを見て感動し、人の動きに直結する脳の病気を治す、という大きな役割に魅せられたからです。入局後は手術や救急対応に明け暮れ、命の瀬戸際で働く毎日を送っていました。
出産を機に、勤務体制の調整が可能な脳外科のリハビリテーション領域に移りました。病気がもたらす機能障害と、患者さんの“生活”とを組み合わせ、最適な治療目標や計画について、患者さんやチームのみんなと共にアイデアを出し、実行する。脳神経外科の仕事は、手術で患者さんの命を救う、リハビリで患者さんのこれからの生活を助ける、どちらの領域も大変やりがいを感じていました。しかし、仕事と家庭の両立に加えて、徐々に両親の介護が必要になり、呼び出しが頻繁な勤務医との両立が難しくなりました。そこで、脳外科の教授に相談したところ、勧められたのが行政の医師でした。