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公衆衛生医師(保健所等医師)のインタビュー03

評論家ではなく実践者として、
世の中のあるべき姿をつくる

厚生労働省健康局健康課 課長補佐
中村 洋心さん

小児科を志して医師になった中村洋心さんが、医系技官という仕事に興味をもったのは、卒後3年目の頃のこと。「制度や仕組みから世の中に貢献したい」と厚生労働省に入省し、特定機能病院の医療安全管理体制の見直しや受動喫煙防止法案の成立などにかかわり、まさに世の中をあるべき姿に近づけていく仕事を経験できたそうです。現在は、健康局健康課課長補佐という立場で、国民全体の健康を高めるべく奮闘しています。

自分が理想としていた“医者”は幻想だった

もともと医系技官という仕事、あるいは公衆衛生に興味はありましたか?

私は小児科医になろうと思って医者になったので、率直に言って興味はありませんでした。学生時代は一秒でも早く臨床医になりたいとばかり考えていました。早く現場に出て、患者さんにとってプラスになることをやりたいと思っていたので、それ以外は考えたこともありませんでした。医者になれば患者さんが困っていることを解決してあげられる、良くしてあげられると思っていたのです。ところがいざ現場に出たら、自分が理想としていた医者というのは幻想だった、と打ちのめされることになりました。

初期研修で急性期病院にいたときには、高齢の患者さんが多く入院されるわけですが、元気になって帰る姿をみることはまれでした。医者としてできることはすべて行っても家族や本人は「もう少し入院させてください」と言う。医学の限界と本人の満足感にギャップがあることを感じました。

でも、小児科だったら、ぐったりしていた子どもが元気になって帰っていく姿が見られると思い、当初の希望どおり専門研修は小児科に行き、主に小児救急を担当しました。

それでも、現実と理想は違っていたのでしょうか?

小児科の救急にくる子は、風邪や熱、あるいは熱性けいれんが多く、薬や点滴で症状をやわらげてあげれば、時間とともに自然に治っていくことが多いと感じました。一方で重症の子はと言えば、現代の医学では何をやっても治らないことが多かった。そうしたことを経験していくうちに、軽症の子は自然に治り、重症の子はどんなに手を尽くしても治らないのなら、自分の存在価値はあるのだろうか――と考えてしまったのです。

また、ほとんどの子が自然に治っていくのはなぜかと考えると、今の子どもたちは、そもそも重症の病気にはあまりかかりません。我々は大学で、急性咽頭蓋炎や細菌性髄膜炎など「見逃してはいけない病気」をたくさん学びます。でも今の現場ではほとんど診ることはありません。なぜなら、それらは、ワクチンによって予防されているからです。

では、それをつくったのは誰かと考えると、ワクチンを作った会社もそうですが、それを制度として組み込んだ行政の力は大きい。それで、厚生労働省に入りました。

運によって人の命が左右されないように制度や仕組みを

臨床のなかで無力感を抱くことは誰しもあるように思います。でも、そのままやり過ごすことはしなかったのですね。

もともと「自分が必要とされる場所で働きたい」「どこにいればもっとも世の中に貢献できるのか」という想いは人一倍強いのだと思います。

当直をするときには、未熟ながらも「この地域の子どもの命は自分が守るんだ」という気概をもっていました。小児科医として、自分だからこそ助けられたと思えることがあれば、それは大変嬉しいことだと思います。一方で、もしも本当に他の人だったら助けられなかったということがあるとしたら、それは医療の敗北なんじゃないか、とも思うのです。運によってその子の運命が変わってしまうのは、どうしても受け入れられなかった。現場にいても、全員を自分が診ることは不可能です。ではどうすればいいのかと考えると、自ずと制度や仕組みにアプローチすることに行きつきました。

身近に医系技官として働いている人がいたのですか?

いえ、いませんでした。ただ、医学部4年生のときに大学の講義に医系技官の人が話に来てくれたことは覚えていて、医系技官という仕事があることは知っていたのです。

それで、卒後3年目に医系技官の人の話を聞きに厚生労働省に行き、さらに、厚労省主催の「医療政策セミナー」に参加して、そこでも医系技官の人たちや同じような思いを持つ学生や医師たちと話す機会を得て、入省を決めました。この医療政策セミナーは、厚労省の医系技官が協力して開催しているもので、私はいまでも毎年参加しています。

世の中が訴える「問題」の解決策を考える仕事

入省後、最初に配属されたのはどんな部署だったのでしょうか?

健康局総務課です。原子爆弾に関する裁判で、被告である国側の指定代理人として対応する仕事をしました。入省していきなり裁判所の被告席に座ることになるとは思ってもいませんでした。

法務省の検事さんとともに裁判の主張書面をつくっていくのですが、知的刺激に溢れた経験でした。医学は、特に現場では、科学的なエビデンスとともに経験や勘のようなものも大切になってきます。一方で法律というのは極めてロジカルで、裁判は明確な審判のもとでのロジックの闘いです。その世界で生きてきた元裁判官の検事さんの思考回路は新鮮で、ともに論理を詰めていく過程は私にとってとても新鮮で、頭を使う仕事の面白さを実感しました。

入省のきっかけとなった「制度や仕組みにアプローチする」ことは経験できましたか?

次に配属された医政局総務課で、主に担当したのが特定機能病院の医療安全管理体制の見直しでした。当時、特定機能病院での医療事故が続き見直すことになったのです。

入省前の自分も含めてですが、何かについて「困っている」「もっと良くする必要がある」と思っている方はたくさんいらっしゃいます。ただ、行政官になってわかったのは、複雑なルールのなかで最善の解決策を考えることの難しさでした。

このときには、医療安全管理体制の新しい仕組みを考え、省令や通知で示しました。なかでも個人的に願っていたのは、「医療安全について病院全体で優先度をあげて取り組む空気を作る」ことでした。現場の負担を増やすだけにならないように、患者も医療者も双方にとって良いものになるように関係者と話し合いながら作りました。

医療安全は個人の問題ではなく仕組みの問題です。制度としてどうアプローチすれば現場で良い結果につながるのか、決まった答えがないなかで一定の結論を示すという行政の仕事の醍醐味を感じることができました。

その後、茨城県の古河保健所の所長を務めました。

省令や通知で医療安全管理体制の見直しの内容を示したあとに、今度は、立ち入り検査などをする立場である保健所に移ったわけです。病院の人たちが通知をどのように受け取っているのか、通知を書いたときの自分の思いは現場に伝わっているのかを知る機会を得られたのは、良い経験でした。

どのように受け止められていましたか?

国からの通知はたくさん送られてきますし、やっぱり難しいので、自分が意図していたことがすぐに隅々まで理解いただけるわけではないことはわかりました。また、医療安全については病院長などのトップの意識が、組織全体に影響すること、まさに自分が国で議論していたことそのものの現状を改めて実感できました。

ただ、その一方で、どの病院も国から出されたものはしっかり受け止め、真摯に考えようとしてくださっており、国の通知の責任の重さを実感しました。

健康無関心層をこっそり健康的にするには

現在は、また厚生労働省に戻られ、健康局健康課課長補佐というお立場ですが、どのようなお仕事をされているのですか?

健康課は健康づくり全般を所掌しています。2018年の大きな仕事は、望まない受動喫煙を防止するためのいわゆる受動喫煙防止法案の成立でした。課をあげて対応し、無事に通常国会で成立、公布されました。法律が国会で成立するまでの困難な過程に携わることができるという行政官ならでは経験を、社会的に関心が強い受動喫煙防止に関する法案で関われたことは幸運だったと思います。

また、「健康日本21」という平成24年からはじまった国民の健康増進に関する10年計画の中間評価も行いました。そのなかで、人々の生活習慣を改善させることの難しさを実感しています。

そのほかにも、女性の健康推進室長と地域保健推進専門官も拝命しているので、女性の健康関連の研究事業を研究者の先生とともに進めることや、保健所関係の会議での講演、災害時に現地に派遣されて厚労省と現地のリエゾンとして活動することなども行っています。

幅広い上に大事なことばかりですね。なかでも力を入れていることはありますか?

今後は、健康無関心層に向けた健康施策が重要だと考えています。今までの健康づくりは、「みんなで健康になりましょう」というものでした。しかし、それだけでは、全体が底上げされるのではなく、もともと健康に関心のある人だけが健康になって、健康格差が広がっていくと言われています。

そのため、健康に関心のない方にどうアプローチするかがこれからの課題です。でも、無関心の人に関心を持ってもらうのは難しいですよね。そこで、無関心のままでも、知らないうちに健康的な行動を取るようになる仕掛けをつくっていくといいのではないかと考えています。

健康課では、健康づくりについての先進的で効果的な取り組みに対する表彰を行っています(「健康寿命をのばそう!アワード」)。たとえば、足立区では、ラーメンや焼き肉を注文しても最初にミニサラダが出てくる「ベジファーストメニュー」や「野菜たっぷりメニュー」などを提供する飲食店を増やしています。こうした自然に健康的な生活につながるような好事例を横展開していくなど、いつの間にか健康になるような仕掛けができないか、考えています。健康課だけでできる取り組みではありませんから、他の部局や省庁とも協力しながら、みんなで健康な社会をつくっていきたいですね。

「こうあるべき」に予算をとって実現する

改めて、公衆衛生医師や医系技官という仕事のおもしろさとは?

我々は、政策を進めていくための方法を考えなければなりません。1つは、医療安全管理体制の見直しのときのようにルールを変えることですが、それ以外にも、予算を取って、そのお金を使って新しいことを実施するという方法もあります。

たとえば、私が始めたものではありませんが、私が医政局総務課時代にかかわったことの一つに、「臨床効果データベース整備事業」があります。今、医療の世界でもICT化が進んでいますが、データがバラバラでは使いようがなく、そもそもデータを蓄積すらしていなければ、次につなげられません。そこで、日々の診療行為や治療効果などを一元的に蓄積し、分析・活用できるようにするために、各学会がデータベースをつくるのを国が補助するという事業です。

公募で一年に3団体ずつ補助し、徐々に、データを蓄積する学会が増えてきています。このように、あるべき姿を考え、予算を要求しそのお金を使って世の中を前に進める――という過程は、世の中をつくっていく醍醐味が味わえます。

まさに醍醐味という感じですね。

研究事業も同じで、政策を進めるためにはどのような研究が必要かを考え、予算を要求し、公募課題を設定し、研究者の先生方に研究を進めていただきます。予算事業にしても研究事業にしても、現状の課題から解決に向けての方策を考え、予算を取って事業を進めていくという過程は、行政官でなければできないことであり、おもしろいですね。

私は医者になった後に医系技官の仕事に興味をもったわけですが、入ったからこそわかること、見えることも本当にたくさんあり、ここにいるからこそできる仕事、世の中への貢献がたくさんあると感じています。世の中の課題に対して「こうしましょう」と解決策を考え、世の中を良くしていくことに大きな意味でかかわれる仕事だと思うので、そういうことに興味がある人にはぜひすすめたいですね。

 

中村 洋心(なかむら・ようしん)さん
厚生労働省健康局健康課 課長補佐

2011年に医学部卒業後、2年間の初期研修を経て、もともと志していた小児科へ。臨床の現場で感じたギャップをきっかけに「政策にかかわりたい」と、2014年4月に厚生労働省に入省し医系技官に。健康局総務課、医政局総務課を経て、2017年4月から茨城県古河保健所長、2018年1月に厚労省に戻り、現職。「地域保健推進専門官」、また、男性初の「女性の健康推進室長」も兼ねる

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